20世紀を代表する商品をデザインしたディーター・ラムスは現存する世界最高のデザイナーの1人だ。 時代を超越したデザインが現代の文化に影響を及ぼした − そして今も与え続けている−産業的モダニストであるディーター・ラムスのイデオロギーと作品 は良いデザインが持つ力を際立たせる。彼が掲げる「良いデザインの10の原則」は依然として、世界中のクリエイターやデザイナー達のバイブルであり、彼の デザインが今までも、そして今でもそうであるのと同様に、現代の文化にとっても不滅的な存在なのだ。
World Receiver “travel 1000” by Dieter Rams, 1978 | Photo: Andreas Kugel © Dieter and Ingeborg Rams Foundation
デザインは思考の過程である。
「私は良いデザイナーとは常にアヴァンギャルドであるべきだと思う。常に 時代の一歩先を行っていなくてはならない。彼らは一般的に、明らかであ ると考えられている全ての事象に関して疑問を投げかけるべきだ。"べき" というより、投げかけなくては"ならない"。」と工業デザイナーのディータ ー・ラムスは言う。彼の作業工程とアプローチはデザイン史の基礎となっ た。彼の影響力は他の比にならないのだ。
ラムスは1932年にドイツのヴィースバーデンで生まれたのだが、当時は社 会全体に不安が高まっていた。「第三帝国」の理念が台頭し始めており、ラ ムスの両親は彼が祖父と田舎で過ごした方が彼の形成期にとって良いで あろうと考えた。ラムスの祖父は大工であり、ラムスのデザイン脳に対する 彼の影響力は絶大だった。
Dieter Rams © Dieter and Ingeborg Rams Archive
祖父に短期間、大工として弟子入りし、ラムスは家具作りにおける実用的 な芸術性をまず学んだ。そして形態と機能への理解をより深める事となっ た。彼の祖父の“Weniger, aber besser” −「より少ないが、より良い」−とい う助言は、ラムスの人生とデザインした作品を代弁していると言っても過 言では無い。
ヴィースバーデン芸術学校で建築とインテリアデコレーションを学んだラ ムスは建築学科を優秀な成績で卒業し、フランクフルトを拠点とする建築 家カール=オットー・アーペルに雇われた。
1995年、ブラウンという有名な 会社がラムスを建築家兼インテリアデザイナーとして雇用した。これが両 者にとって長期に渡る記念すべき、事業提携の始まりであるとは知るよし もなく。 彼のデザインにおける信念は明らかであり、入社後6年でチーフ・ デザイン・オフィサーに就任し、その後1995年まで何十年もその職に就き 続けた。
「製品のデザインとは、その製品の全体的な構成である:その形、色、素材 そして構造の全てを指す。」ラムスはまさに核心を突いた。より少ないが、よ り良いのだ。
Hi-fi system by Dieter Rams, 1965 | Photo: Andreas Kugel © Dieter and Ingeborg Rams Foundation
Automatic slide projector by Dieter Rams 1956 | Photo: Andreas Kugel
© Dieter and Ingeborg Rams Foundation
ブラウンではミキサー、ラジオ、テレビ、電卓、卓上ランプそしてヘアドライ ヤー等の生活雑貨全てにおいてこの手法を適用した。ラムスがデザインし たブラウンT-1000ワールドレシーバーは高感度な美的センスと当時の最 先端技術が兼ね揃えられていた。シンプルな外見が、複雑な中の構造を覆 い隠していたのだ。1959年にデザインされたT41ポケットラジオレシーバ ーは後にラムスから「史上初のウォークマン」と命名されたし、同年にデザ インされたP1 7インチ専用ポータブル・レコードプレイヤーは見た目の美 しさ同様に便利で機能的だった。ラムスは500以上のアイコニックな製品 を生み出してきた。
彼のデザインの仕方には、まとまりと一貫性を生み出すために、計算し尽 くされたグラフィックデザインとマテリアリティと共に、形と均整という2大 柱が含まれていた。ラムスのデザインは良い意味でうるさく無く、何より説 明書無しでも使用法が簡単に理解できた。自身の人文主義的アプローチ を通じ、彼は説明したものだった「他人を理解出来なければ、良いデザイ ン等理解出来ません。万人にデザインというものを理解してもらいたいな ら、それは可能な限り、単純で無くてはならないのです。」 国籍や言語が何 であろうと、ラムスのデザインを目にすれば、人はものの数秒でその用途を理解した: 何の為のものであるか、どの様に使われるべきなのか、等だ。
Dieter Rams in the studio of his house in Kronberg 1975 | Photo: Marlene Schnelle-Schneyder © Dieter and Ingeborg Rams Archive
ラムスのブラウンでの在職が第二次世界大戦後のドイツであったというの も特筆すべき点であろう。当時は、市民が戦時中にほとんど破壊されてし まった家庭雑貨を必要としていたのだ。家庭雑貨の需要は非常に高く、工 場はフル回転で生産を行なっていたが、ラムスは必ず長い目で製品をデザ インすることを心がけていた。「実生活」のための余白を確保するようにデ ザインされた製品の数々は、何世代も修理などを通して長持ちする事を 念頭に作られていた。本来、大工仕事も上記にある様な同じ理想を無数 の意味で持ち合わせているのだ。実用性と問題解決を基本とした大工業 は、長持ちの理念を根幹に行われており、必要があれば修理することも念 頭にデザインが構成されているのだ。 ラムスが祖父と過ごした形成期は 確かに、彼に良い影響を及ぼしたのだった。
1970年代の後期には、ラムスの思考は彼の身の回りの世界の状況によっ て満たされ、彼はより功利主義にのめり込んで行った。彼が言う様に、それ は「奥の深い形、色そして雑音の混乱」だったのだ。一デザイナーとして、こ の「雑音」を作り出している張本人としての自覚が、彼に自問させた:私の デザインは果たして良いデザインなのだろうか? これを通じて、彼自身に より決定的に考え抜かれた青写真が、多くの者にとっての革命的なガイド となったのだ。
ブラウンに在籍中、ラムスは家具デザイン会社のヴィツゥ(当時の社名はヴ ィツゥ+ザップ)のデザインも手掛けた。 彼が天才的なデザインをした606 ユニバーサル・シェルビング・システム(MoMAのモダンアンドコンテンポラ リーアートコレクションでも展示された)と620 チェア・プログラムはモジュ ラーで時代の先駆けでもあり、両者とも用途が広く、製品としても存在とし ても有能だった。ヴィツゥは現在でも両製品を、英国で生産しており、依然 と変わらず、専門的に建設された生産工場にて素材、形式そして機能に敬 意を込めて造られている。
in 1962 along with his 620 Chair Programme | Studio (ID216) 621 & 620 ©Vitsoe
ラムスの影響は彼がブラウンに所属していた初期の頃に端を発し、それは 今、現在に至るまで続いている。そしてそれは、ジョナサン・アイブの様な時 代を牽引するデザイナー等にも当てはまる。アップル社での彼の作品を見 れば明らかであるし、スティーヴ・ジョブス本人にすら影響を与えたと言え よう。現在、20世紀の中で、ラムスのデザインの原則はなおさら、重要で必 要不可欠であるように思える。私達が生きる大量生産の世界において、彼 の時代を超越したデザインは日を追うごとに、より私達と密接になり、重 要性も増している。ディーター・ラムスは現在89歳で消費主義が日々高ま り、発展するのを目の当たりにして来た。私達が留まること無く、常に新し い製品を購入したがる事に懸念の声を上げながら。世界の資源は有限で 、人類の大量消費の姿勢は持続可能ではなく、それは建造と製造の手法 についても同様である。
ラムスの全体論的デザイン精神は今までにも増して必要不可欠だ。彼の「 10の原則」は依然として、恒久的に我々と密接に結び付き続けており、ラ ムス固有のデザインにおける方法論は世界中のデザイナー、建築家そし てクリエイター達にとって一貫性のある青写真となっている。 より少なく、 しかしより良く消費しよう。これが良いデザインの普遍的な力だ。